同じ「経理」でも、年収のレンジがなぜこれほど広いのか
「経理」という職種は、会社によって任される業務の範囲がまったく違います。中小企業の経理であれば、日々の記帳から入出金管理、給与計算、税理士とのやり取りまでを一人で幅広くこなすケースが珍しくありません。一方、上場企業やその子会社の経理になると、業務は「単体決算」「連結決算」「開示」「税務」「管理会計」といった機能ごとに細かく分業されており、担当者は自分の持ち場以外の実務にはほとんど触れないまま経験年数だけを重ねていきます。
この違いが、そのまま市場での評価差につながります。転職市場で経理の年収を決めるのは「経理歴が何年か」ではなく、「どの決算プロセスを、どこまで自分の手で完結させた経験があるか」です。同じ10年選手でも、単体決算の仕訳から月次締めまでを一人で回せる人と、連結パッケージの作成や有価証券報告書の開示実務に関わってきた人とでは、求人票に書かれる想定年収のレンジ自体が別物になります。後者は上場企業やIPO準備企業から見て「即戦力として連結・開示チームに組み込める人材」であるのに対し、前者はポテンシャル採用に近い扱いを受けやすいためです。
さらに、担当業務の範囲だけでなく、それが「その会社固有のやり方」なのか「業界標準のやり方」なのかという軸も評価に影響します。同じ決算業務でも、独自フォーマットのExcel運用しか知らない場合と、SAPやOracleといった標準的な会計システムでの運用経験がある場合とでは、転職先での立ち上がりの見込みが変わるため、企業側の評価にも差が出ます。
つまり経理の年収差は、能力差である以前に、「どの会社に配属され、何を担当してきたか」という環境要因によって最初の分岐が生まれているということです。次のセクション以降では、この分岐がどのような「型」として表れるのかを、単体決算止まりのタイプ、特定の会社のやり方に固定されたタイプ、資格はあるが使い道が定まっていないタイプの3つに分けて見ていきます。
単体決算はできるが、連結・開示の経験がない人
経理職で単体決算までは一通りこなせるという方は少なくありませんが、転職市場で見られているのは実はその先です。単体決算は月次・年次の締めを自社の中だけで完結させる業務のため、担当年数が長くても「連結決算・開示実務ができるか」という評価軸では未経験のまま止まってしまいます。特に上場企業やIPOを目指す企業では、子会社との取引相殺・連結パッケージの回収・有価証券報告書やIR資料の作成といった開示実務が経理部門の中核業務になっており、単体決算の経験だけでは応募条件を満たさない求人が一定数存在します。
この壁が生まれる理由は単純で、連結・開示は「単体決算の延長」ではなく別の技能だからです。連結精算表の作成、税効果会計の連結ベースでの計算、監査法人とのやり取りなど、単体では発生しない業務が積み重なっており、実務を経験していない限り面接でも具体的な話ができません。そのため、単体決算止まりの方が年収を上げようとすると、まずは今の会社で連結決算に関わる機会を取りに行く、あるいは連結決算がある会社へ異動・転職して実務経験を作るという二段階の動きが必要になります。
ここで注意したいのは、資格や座学だけでは代替しにくい点です。連結会計の知識を独学で身につけても、実際にどの勘定でどんな調整が入るかは会社ごとの実務でしか身につかないため、求人票でも「連結決算実務経験○年」という条件が明記されているケースが目立ちます。今の職場で連結業務に関わる部署異動が難しい場合、どの規模・成長段階の会社であれば未経験からでも連結実務に入れる求人があるかは、自分で求人を探すだけでは把握しづらい部分です。では、連結決算・開示の実務経験を積める求人がどの程度の年収レンジ・募集条件で出ているかを事前に確認できます。
特定の会社のやり方にしか対応してこなかった人
経理の業務は、多くの会社で「その会社独自のやり方」の上に成り立っています。使っている会計システムが自社独自の古いパッケージだったり、月次の締め方や仕訳のルールが前任者から引き継いだ独自フローのままだったりするケースは珍しくありません。この場合、本人としては何年も同じ業務を回してきた実感があっても、転職市場では「その会社でしか通用しないやり方に慣れている人」として扱われやすくなります。
採用側が経理職を評価するとき、実際に見ているのは「経験年数」そのものよりも、使っているシステムや業務フローが他社でも再現できるかどうかです。たとえばSAPやOracle、freee・マネーフォワードといった標準的な会計システムでの実務経験は、転職先が変わっても即戦力として評価されやすい一方、社内独自の基幹システムしか触ったことがない場合は、システムの使い方から教える前提での採用になり、年収レンジも下がりがちです。
もう一つ市場評価が上がりやすいのが、IPO準備の経験です。上場準備期間中の経理は、内部統制の整備・監査法人対応・開示資料の精緻化など、通常の経理業務より広い範囲を短期間で求められます。この経験は「未上場の緩い運用」から「上場企業レベルの統制された運用」への対応力の証明になるため、IPOを目指す企業やすでに上場している企業からの評価が上がりやすい傾向があります。
打ち手として現実的なのは、以下の二つです。
- 今の会社で使っているシステムが独自色の強いものであれば、標準的な会計システムの導入プロジェクトやリプレイスの担当に手を挙げる
- IPO準備中の会社や、上場企業の経理部門への異動・転職を通じて、外部で通用する統制フローを経験する
どちらも共通しているのは、「今の会社の中だけで完結する経験」から一歩外に出る動きだという点です。経験年数を重ねるだけでは、独自フローへの習熟は深まっても、それが転職市場での評価に直結するとは限りません。
資格は取ったが、使い道を決めていない人
日商簿記1級やUSCPA、税理士科目合格などの資格を持っていても、それだけで年収が上がるわけではありません。実務では、資格そのものより「資格をどの実務経験と結びつけているか」で評価が決まります。
たとえば同じ日商簿記1級保持者でも、管理会計・FP&A方向で予算編成や経営分析の実務を積んだ人と、単体決算の記帳業務を続けているだけの人とでは、転職市場での評価は大きく変わります。資格は「学習した証明」であって「実務でその知識を使ってきた証明」ではないため、採用側は資格の有無より、資格取得後にどの業務でそれを活かしたかを見ます。
これは資格の使い道が主に三つの方向に分かれることが背景にあります。
- 管理会計・FP&A方向:予算策定や経営層向けの分析業務に資格の知識を接続し、事業会社の管理部門でキャリアを積む
- 会計事務所・税務方向:税理士科目や実務経験と組み合わせ、会計事務所や税理士法人で専門性を深める
- 監査・IPO準備方向:USCPAや監査法人experienceと結びつけ、上場準備企業やIPO実務のポジションを狙う
問題は、この三方向のどれにも進まず、「資格は取ったが今の業務範囲は変わらない」まま数年が経過しているケースです。この場合、資格取得時点では市場価値が上がっていても、実務が伴わないまま時間が経つと、転職市場では「資格はあるが該当分野の実務経験がない人」という扱いになり、年収レンジには反映されにくくなります。資格の有効期限がある種のものはこの点でさらに要注意です。
逆に言えば、資格取得後に方向性を決め、該当する業務に異動願いを出す、あるいはその実務経験を積める会社に転職するという一手を打てた人は、資格を年収に変換できています。つまり分岐点は資格取得そのものではなく、取得後に「その資格をどの実務に接続するか」を早期に決められるかどうかにあります。
三つの型は、どこで分かれ始めるのか
三つの型――単体決算止まりの人、特定の会社のやり方にしか対応してこなかった人、資格の使い道が定まっていない人――は、本人の能力ややる気の差だけで生まれるわけではありません。多くの場合、最初に配属された会社の事業規模や成長段階によって、経験できる業務の幅がある程度決まってしまうという構造があります。
たとえば、上場準備中の会社やすでに上場している会社の経理部に配属されれば、連結決算や開示実務、監査法人とのやり取りは日常業務の一部として自然に経験することになります。一方、非上場のオーナー企業や、資本関係がシンプルな単独会社に配属された場合は、何年勤めても単体決算の枠を出る機会自体が発生しません。これは本人の努力不足ではなく、会社の資本構造上そもそも連結決算という業務が存在しないためです。同様に、会計システムについても、大手グループ会社であれば標準的なERPパッケージを使う可能性が高い一方、中小企業では独自にカスタマイズされた自社システムやExcel中心の運用が続いていることも珍しくありません。後者に長くいるほど、経験年数は積み上がっても「その会社でしか通用しない手順」への習熟が中心になっていきます。
資格の使い道についても同じことが言えます。日商簿記1級やUSCPAを取得したタイミングで、経理部内の管理会計寄りのポジションに異動できるか、あるいは取得後も同じ業務を続けることになるかは、本人の希望だけでなく、その時点で社内にそうしたポジションが存在するかどうかに左右されます。異動先や次のプロジェクトが用意されていなければ、資格は棚上げされたまま数年が過ぎることになります。
ここに共通しているのは、どの型であっても、今在籍している会社の内部だけで積んだ経験は、社内での評価にはつながっても、外部の市場でどう評価されるかとは別の話だという点です。社内で評価されている担当者ほど、自分の経験が単体決算止まりなのか、特定システムに閉じているのか、資格が活きているのかを客観視しにくくなります。異動や転職といった形で一度「今の環境の外」に出て、他社の基準に照らされる経験がないと、実務としては十分な仕事をしていても、年収という数字には反映されにくいままになります。自分の今の業務範囲や資格が外部からどう見えるかは、に一度確認してもらうことで、社内評価とのズレに気づけることがあります。
自分がどの型かを見極めるために
ここまでの3つの型は、あくまで整理のための目安です。実際には「単体決算はできるが連結・開示の経験がない」「特定の会社のやり方にしか対応してこなかった」「資格は取ったが使い道を決めていない」という要素は独立しておらず、一人の中に重なって存在していることのほうが多いです。たとえば単体決算しか経験がなく、かつ日商簿記1級を持っているが使い道を決めていない、というケースは珍しくありません。
どの打ち手を優先すべきかは、型のラベルではなく今の自分の数字で決まります。具体的には次の3つです。
- 現在の年収と、それが業務範囲に対して妥当な水準か(同じ経理でも単体決算のみか連結・開示までかで市場相場が変わるため)
- 担当している業務範囲(単体決算・連結決算・開示・管理会計・FP&Aのどこまでか、会計システムは自社独自か標準的なものか)
- 保有資格の有無と種類(日商簿記・USCPA・税理士科目合格など、資格をどの方向に振れる状態にあるか)
この3つの掛け合わせによって、「連結・開示の経験を取りに行くべき段階」なのか、「標準的な会計システムやIPO準備企業に移って外部通用性を上げるべき段階」なのか、「資格の使い道を管理会計・FP&A・会計事務所のどれかに定めるべき段階」なのかが変わってきます。同じ「経理歴5年」でも、この組み合わせ次第で次に効く打ち手はまったく異なります。
感覚や記事の分類だけで打ち手を選ぶと、すでに頭打ちになっている経験を積み増すだけで終わってしまうこともあります。自分の年収・業務範囲・資格の状態を具体的な数字として一度整理し、その数字に基づいてどの打ち手が優先されるかを診断で確認しておくと、次に取るべき行動がはっきりします。
よくある質問
経理の年収は経験年数が長いほど上がりますか?
経験年数そのものより、担当してきた業務の範囲が評価に影響します。単体決算だけを長く続けた場合と、連結決算や開示実務まで担当した場合とでは、同じ年数でも市場評価が変わります。
日商簿記1級を取れば経理の年収は上がりますか?
資格単体で年収が上がるわけではなく、資格をどの方向の実務に結びつけるかが重要です。管理会計や開示実務など、資格を活かせる業務に就いて初めて評価に反映されやすくなります。
連結決算の経験がない経理は転職で不利になりますか?
単体決算のみの経験だと、連結決算や開示実務を求める求人では選考対象になりにくい傾向があります。特に上場企業やその子会社を目指す場合は影響が出やすい部分です。
中小企業の経理から上場企業の経理に転職できますか?
可能ですが、会計システムの違いや開示実務の有無など、業務範囲のギャップを埋める必要があります。事前にどの経験が不足しているかを整理しておくと選考で説明しやすくなります。
経理からFP&Aや管理会計へのキャリアチェンジは可能ですか?
経理としての決算実務の経験は土台として評価されますが、FP&Aや管理会計では数字を将来予測や意思決定に使う視点が求められるため、実務の中でその視点を持って動いてきたかが問われます。